京谷和幸
より
2002
はじめまして、京谷和幸です。
2002/01/07
はじめまして、京谷和幸です。
縁あって、ゆうちゃん(三木聖美選手)と知り合い、とても仲良くさせていただいてます。また、ゆうちゃんのホームページで私のことを紹介してもらいとても感謝しています。
何故、私が「ゆうちゃん」となれなれしく呼んでるかというと、実は私の妻の旧姓が「三木」だったのです。
だから、三木さんとか三木、ましてや聖美さんなど呼べるわけもなく、コートネーム?の「ゆう」からゆうちゃんと呼ぶようになりました。(ゆうちゃんファンの皆様、申し訳ありません)
ゆうちゃんとのことを少し話したいと思います。
始めての出会いは、私と妻の書いた本がきっかけでした。その頃よく読者の方から、お手紙を頂いており、全て目を通していましたが返事を書いたりすることはほとんどありませんでした。ところが、一通の手紙に目が止まりました。「シャンソン 三木聖美」と名前が書いてるじゃないですか!これは何かの縁だ!まして、テレビで見たことのある、あの選手!!(妻の旧姓と一緒だったので印象深かったのです)早速私は、ペンをとり、何年かぶりに「女の子」に手紙を出し、しかも自分の名刺まで入れてしまったのです。
それから、ゆうちゃんからメールが届き、車椅子バスケットを見たいということで、我がチーム「千葉ホークス」の練習を見にくることになったのです。
待ち合わせの場所は、何故か渋谷にあるNHK放送センターでした。(私がそこで世界ハート展の審査委員会をやっていたので)第一印象は、「笑顔のかわいい子」でした。初対面なのに初めてあった気がしなく、すぐに意気統合しました。その後、千葉ホークスの練習を少しだけ見学して、(もちろん車椅子のバスケットも体験してました)家の近くの居酒屋で食事をしました。
いろいろな話をしましたが、ゆうちゃんは「お酒」がとても好きで、「明るく」、そして「プロ意識」を強くもち、なにより「バスケットがとっても好きなんだ」と、その時思いました。(今ではお互い良き相談相手?になってます)と、こんな感じでゆうちゃんと知り合った次第です。
話しは長くなりますが、私についてここで少し話したいと思います。
私は昔、「Jリーグ JEF市原」に所属していたことがあり、不慮の事故で、両足の機能を失い、車椅子の生活を送ることになってしまったのです。その後、車椅子バスケットと出会い、シドニーパラリンピックに出場するまでになりました。 車椅子バスケットの面白いところは、障害の重い人から軽い人まで、それぞれ持ち点というのがあります。たとえば健常者が5点とした場合、より健常者に近い運動機能が残ってる人から、4.5、4.0、3.5、3.0、2.5、2.0、1.5、1.0という具合に設けられています。
もっとわかりやすくいうと、片足切断のひとは4.5もしくは4.0となり、私のように胸椎(胸の骨)を損傷してる人は、1.0もしくは1.5となります。(私は重度の1.0です)その5人の合計持ち点が14点を超えてはいけないというルールがあります。これにより、各チームのハンデが無くなることになります。しかし、持ち点の低い選手の所から、攻めてくるのは常識で、相手はすぐにミスマッチをついてきます。私にとってこれこそが楽しみなのです。いかに自分より持ち点の高い選手を抑えるか、そして抑えたときのなんとも言えない快感。。。とても楽しいです。
その他いろいろ車椅子バスケットの楽しいところはありますが、次の機会にお話したいと思います。
来年1月11日から全日本の合宿が始まります。これは、来年8月に北九州で車椅子バスケットの世界選手権(ゴールドカップ)が開催されますが、 それに向けた選考、強化合宿です。今はそれに向けて頑張っています。
シドニーパラリンピックに出たからといって、次も選ばれる保証はありません。私はチャレンジすることを忘れず、いつでも前向きな姿勢で、自分自身変化していつもりです。その先には、「アテネパラリンピック」という目標もありますからね。。。。
最後に一言、 是非一度、車椅子バスケットを見にきてください。そしてこれからも、ゆうちゃん、そして京谷和幸、さらに、シャンソン、千葉ホークスの応援を お願いします。
またお会いしましょう!!(ゆうちゃん、次はあるのかな?笑?)
京谷和幸
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